一般社団法人斜面防災対策技術協会 富山支部
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2009年台風8号による被災地「台湾高雄縣」を視察して

(社)斜面防災対策技術協会富山県支部

はじめに

 昨年の8月9日、台湾高雄縣で台風8号がもたらした記録的な降雨により山腹斜面が大崩壊(深層崩壊)を起こし、村が埋没し多くの住民が生き埋めになっているとのニュースが流れました。この災害で最も大きな被害を受けた同縣小林村は「楠梓仙渓」(河川名)の左岸沿いにあり、村の中心部で家屋約170戸、住民約400人が被災しました。また、崩壊による出来た天然ダム(約70mの高さ)が決壊するなど、この災害で500名ほどの住民が犠牲となりましたが、未だに殆どの遺体が収容されていな悲惨な災害でした。

 この災害に関しては、日本ではそれほど多くは報道されませんでしたが、今年の6月のNHKスペシャルで「深層崩壊が日本を襲う」と題して、この災害の様子が放映されました。そして、これまでも日本で深層崩壊による災害が発生していると紹介され、この災害の規模や被害の大きさに大きな反響があったところです。

 当支部では、この放映を踏まえ今年度の視察地を台湾と決定し、支部会員の技術の向上を図る活動の一環として、今回、クローズアップされた被災地である小林村の深層崩壊をメインとした現地視察を計画しました。日程は10月31日(日)の午前、富山空港からの台湾のマンダリン航空によるチャーター便にて台中空港へ、台中站(駅)から40分ほどで最初の宿泊地である台南站に台湾高鐵(台湾新幹線:日本と全く同じ形の車両)にて夕方に到着。夕食に台湾料理を食べた後に出店や遊技店が多く出ていて、大変な賑わいの「花園夜市」を視察(?)しました。(写真)

多くの市民で賑わう台南市内の「花園夜市」

当支部の現地視察について

 これまでも当支部では、斜面崩壊に伴う被災地の視察(昨年は中国四川の大地震による被災地を視察)を行い、この視察結果の報告を踏まえた講演会や会員の技術の向上に資する講習会などの開催を行って来ております。そして、これらの活動を通じて、会員の防災に関する見識を深め、県民に広く悲惨な災害の実態を伝え、防災事業(公共事業)の必要性への理解を求めるとともに地域の「安全安心の確保」に寄与すべく情報の発信を行っております。また、このような斜面災害時における速やかな復興・復旧に向けた緊急時の出動(国・県との災害協定の締結しています)を行う重要な役割も担って来ております。

 今回の視察に当たっては、東京農工大学の中村浩之名誉教授に現地の関係者との調整を行っていただき、富山大学大学院理工学研究部の竹内章教授を団長とした視察団を組織しました。視察には支部会員各社から村尾于尹支部長をはじめ総勢15名(添乗員含み)が参加、災害から1年2カ余りを経過した高雄懸甲仙郷小林村及びその周辺の被災地を視察しました。

左から竹内団長、中村名誉教授、王理事(一人おいて)頼副主査

 視察に当たっては、事前の日程調整等でお世話になった中華防災学会理事の王文能博士に3日間、案内していただきました。王さんは過去に日本に留学をされ、日本語も上手であり通訳もして頂きました。また、被災現地では、国立成功大学防災研究所の頼文基副主査、学生さんにも案内を頂きました。(写真―1)

被災地の状況

渓岸と斜面の崩壊と河床の状況

 翌日からは現地視察、大酒店(ホテル)からマイクロバス2台に分乗し、今回の視察の一番の目的地である小林村に向かいました。小林村に向かう道すがら、まず目についたのが川(「後堀渓」と言う名称)の蛇行です。この蛇行した川の水衝部が至る所で河岸崩壊が発生しており、上流部から流下する多量の土砂に加えて、下流部の河床上昇(20m以上の箇所も)を発生させた一因と見受けられました。(写真―2)

 少し山間部に入ると、今度は山肌が抉られ、無数の崩壊地が存在し、相当量の土砂が流出したことが伺えました。この崩壊により幹線道路の状態も非常に悪くなり、道路の山側、川側とも崩落、決壊が多発し、非常に常に危なっかしい現道や迂回路、仮設道などが続きました。(写真―3)

 河川、道路とも浸食、崩落箇所の復旧は少しずつではありますが進められていますが、採用されている工法は重要と思われる箇所では、薄い天端(幅が15〜20cmほど?)の鉄筋コンクリート護岸工が施工され、護岸の河床部にはコンクリートブロックが用いられていました。その他の箇所では布団篭工が多く採用(写真―4)されていましたが、未だに手の着けてない(復旧がなされていない)箇所も多くありました。昨年、視察しました中国四川省の災害地における復旧の速度とは大きく違っていると感じました。

河岸の被災状況(家屋裏の擁壁が浮いている)布団篭を設置している作業員(詰め石は重機で)

小林村の「深層崩壊」現場にて

崩壊地の上を踏査(この下に集落が埋没・・・)

 バスの先には大きな崩壊地が見えてきました。(写真―5)

 午後には、今回の最大の目的地である小林村の崩壊に到着、早速、崩壊地内を踏査しましたが、最大89mも堆積していると言う崩壊土砂の下に未だに約400百名の方が埋まっている現場だと思うと複雑な気がしたのは全員の気持ではなかったかなと思いました。そして、多くの住民の遺体が収容されていない現実に対して、日本では行政はどのような判断(遺体に収容の是非)をし、マスコミがどのように報道を行うのかなあと思わずには居られませんでした。今後、日本において、このような多く住民が犠牲となる事態が発生した場合、救出作業に当たっては堆積した土砂を取り除くための技術が進歩している現状を踏まえ、犠牲者の救出のあり方が問われるのではと感じました。

 この崩壊地の規模は凄まじく、4日間で3,000mmに及ぶ降雨量(日本の年間平均雨量1,700mmの約1.8倍)、土砂の移動範囲が幅1kmで縦3km、移動した土砂量が約27百万m3と驚きの数値でした。しかも、崩壊地内、その周辺でも復旧工事が全く行われていなく、僅かに災害直後に河川の閉塞部の開削が行われただけで、今後の降雨による再度災害の発生が懸念されます。

 なお、この崩壊地に関する気象、地形、地質等のデータや被災内容は様々な調査研究の報告資料で報告されており、特には触れませんが、現地に被災の状況は行ってみて初めて実感する大きな深層崩壊(災害)地でした。

妙崇寺の崩壊現場にて

 翌日は、もう一つ奥地の高雄縣六龜郷地内の老濃渓(川の名称)沿いの被災地を視察しました。

「妙崇寺」の裏山の崩壊(逆光で裏山が見にくいですが)

 まず、崩壊した箇所の工事中の現場を視察、現場は「妙崇寺」という非常に立派なお寺の裏山が崩壊、その裏山(山腹)の復旧工事現場です。今回の崩壊(崩壊土量約193万m3)により、寺の最上部の「文殊殿」が被災しましたが、幸い本殿を含む残りの8施設の被災は免れた様でした。(写真―6)

 この崩壊地の復旧(水土保持局所管)工事は約274百万元(日本円にして約7億4千万円)が投入され、工事内容としては日本で言う土留め擁壁工(基礎杭(約40m)付き)、山腹階段工、砂防堰堤(スリット型)などの施設が建設されていました。現地では立成工程公司(会社)社長の頼宗成社長から工事概要の説明を受けました。

頼宗成社長から工事の説明を受けた

 台湾は深甚な仏教国であり、今回訪れた山間部には日本のお寺に当たる非常に立派で煌びやかな建物が幾つも建っていましたが、今回の災害では不思議にお寺の本体は余り被害が受けていないように見えましたが・・・。このお寺の裏山が崩壊した箇所の復旧対策は、道路や民家の裏山の対策に先んじて、国が大きな費用を掛けて復旧されているようにも感じましたが・・・・。

老濃渓左岸の土石流災害現場にて

 次の現地は、少し老濃渓を遡って上流へ。ここも至る所で大規模な崩壊や土石流が発生しており、多くの住民が犠牲になっていましたが、未だに埋まった状態であると聞きました。しかし、今後、遺体の捜索や復旧作業が行われる様子は全く感じられませんでした。膨大な土砂量になすすべがないのかもしれませんが・・・。(写真―8)

老濃渓左岸の荒廃状況(現地で頂いた航空写真のコピー)

 この写真−8の右端の「上新開」地区には大きな仏像が渓流の中に立っていますが、上流部での崩壊が土石流となって流下するも、仏像の脇を抜けて被害が及ばなかった箇所です。

仏像の下流には民家があるが被災していない)

「921地震教育園区」にて

 最終日の午前中、1999年9月21日に台湾中部を中心にM7.6規模の大きな地震が発生し、多くの住家や公共の建物や被災、この地震の教訓を後世に残すため台中市の郊外に建設された地震博物館「霧峰郷921地震教育園区」(2004年、国立自然科学博物館の分館)を視察しました。博物館では、被災した現地そのものを残して展示してあります。特に、中学校のグランドを横切っている断層による盛り上がった箇所や壊れた中学校の校舎がそのまま補強して展示してありました。(写真―7、8)また、展示館内では地震の体験室があり、住家の部屋の中で当時の震度が体験できるようになっており、家具などを固定した部屋と固定してない部屋が用意され、地震による被害の違いが分かるようになっていました。

 この施設では、地震の教訓を後世に引き継ぐために被災した現地をそのままの状態で残すという手法で展示されています。このような形で博物館として残して展示するやり方は日本では余り見かけない手法ではと感じました。平地の少ない日本では、ほとんどの場合は復旧され、当時の姿が残されていても部分的であり、多くは撤去されているのが現状です。災害からの復旧・復興は大切な行為ではありますが、悲惨な災害を後世に語り継ぐためにも可能な限り、残すべきではないか、など、色々と感じるものがありました。

「霧峰郷921地震教育園区」内グランドで段差(左下)、壊れた校舎(右下)

今回の視察を終えて

 小林村の災害でクローズアップされた「深層崩壊」は古くて新しい言葉であると思います。

 この言葉は砂防技術者の中では表層崩壊と深層崩壊に区分して、使っていました。が、これらの現象の違いを踏まえた具体の対策、議論はあまりなされていなかったのではと感じます。特に、表層崩壊は「がけ崩れ」「地すべり」として処理され、ソフト、ハードの両面から、公共事業として対策が講じられています。

 一方、今回の様な大規模崩壊、いわゆる「深層崩壊」は富山県の立山カルデラの「鳶崩れ」や静岡県の安倍川の「大谷崩れ」長野県の姫川の「稗田山の大崩壊」など「作家の幸田文さん」の小説「崩れ」に出て来る様な崩壊地を指していると思われます。これらの地域では崩壊した土砂の再移動防止対策として、様々な砂防施設の整備や警戒避難対策が行われています。今後は、このような大規模な深層崩壊が発生する恐れのある箇所に対しては、行政や住民がどのような対応(避難行動)を行うべきか、また深層崩壊の発生する箇所の特定や発生の予知・予測の技術の向上など多くの課題に対する取り組みが必要であると考えます。また、近年、地球の温暖化とみられる地球規模の気象の変化により「深層崩壊」の増加が懸念されます。相手は、自然現象であり、規模が大きいため食い止めることは不可能と思われます。このため、日常から気象や地形などの細かな変化と向き合って、斜面の情報を的確に捉え、発生の予知・予測の技術の向上を図り、いち早く避難するための対策を講じなければならない。このためには、産官学、それぞれの立場で検討し、体系的に整理する必要があるのではと感じました。

地方団体からの声として

 山岳地の面積が2/3の日本国土、残りの1/3に1億2千万人以上が住んでおり、国土全体での人口密度は340人/km2、しかも、平地だけに換算すると1,100人/km2になり、世界で最も多い超過密状態となります。このため、「深層崩壊」による災害が発生したら、台湾の例を見るまでもなく桁違いの被害の発生が想定されます。しかし、表層崩壊に比べて発生頻度(確率)が低い深層崩壊に対して、どのような情報を発信するかは非常に難しいのも現状です。

 しかし、このような災害から人命・財産を守る防災事業は重要な公共事業です。そして、この防災事業は他の公共事業に先だって、安全・安心をもたらす事業であり、社会資本整備の安心・安全の基盤の構築に最優先すべき事業であると思います。

 当支部では、これからも地域の一団体として、今回の様な他国の災害状況を自らの目で確認をし、感じたことを広く県民に伝えるとともに防災対策事業の必要性を訴えていくことが重要な役割では考えています。そして、その役割の一環として、今回の視察の結果報告を2011年の2月18日(金)に「斜面防災対策技術講習会」として、開催を予定しております。詳細につきましては、当協会支部のホームページ等で告知を致しますので、皆様の参加をお待ちしております。


(文責:技術顧問 川田 孝信)